被災地ボランテア。

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皆さんお元気でしょうか?

恐ろしい大震災から6年が過ぎました

日に日に変わる復興に向けての皆さんの生活

しかし、取り戻せない大事なものがあることを

考えるとやるせない思いに滅入つてきます。

 

物心両面での痛手、失われたことえの言い尽く

せない当時の失望感は虚脱そのものであつたと

も思われるのです。

 

自然の中で私たちが作り上げたものは些細なこと

かも知れませんが、そこには人としての営み生活

があつた筈です。

 

そこに苦労がある反面、歓びが共存し支えとなり

私達に生きるための道理を与えてくれていました。

このようなかけがえのない神があたえてくれた賜物

に外なりません。

 

どうか、今後に向かい一歩一歩進まれる皆さんには

失望などの言葉は隠された言葉となるように期待し

人間すべて ”生かされて生きる” この共同体感覚

すべては共同体の気持ちで生きることこそ広く私達

に課せられた生活信条であろうかと意識を新たにし

たいと思つております。

 

 

 

 

 

 

被災地ボランテア。

毎週テレビで被災地の方々の様子を目の当たりにしております。

あれから6年目を迎えようとする現在中でもお年寄りの方々の

姿にこれから前向きに生活していただきたいと願うものです。

 

私は奥羽山脈を境に隣県に住む者として身に詰まる思いに駆ら

れ自身も高齢であることを意識しながらも直に皆さんとお会い

し元気の出る話合い語り合いたいことを望んでおります。

 

物心両面でのボランテアには限界はあるものの、せめて心の面

からの気持ちの触れ合いの機会に期待を寄せております。

高齢者といえども気持ちを若く持ち続けることの大切なことを

土台にその上にいろんな前向きなことを積み上げることを考え

て行きたいものです。

 

罹災地皆さんの”人知れぬ寂しさ、辛さ苦しさ”を共有し少なから

ず慰め会いたい元気あることに代えたいものと心の奥から思つて

おります。私は近き日にボランテアの気持ちでお邪魔させていた

だきます。その折は、よろしくお願い致します。

 

 

 

 

今日という一日

私は朝一番に日めくりカレンダーを見る。

要点は先ず六曜の吉凶から始まり 順次に 

十二直さらには二十八宿まで進みその上で

一日の方向を考える参考とする。

どうしてこうまで拘るのかをふりかえるとき、

どうも毎日の生活には考えつかない理不尽な

出来事があるようで深追いしたくなるのである。

このような時、昨夜の夢を思い出してみるもの 

のどうしても部分的にしか思い出せずしかも時折 

つじつまの合わない夢が殆どで家族に話すにも  

戸惑う不完全なものである。夢の映像を無理に      も追にも追いかけ、どうしも追いかけ、どうして、このようなことが出て   

来るのか皆目見当もつかずに、しかし・・・と  

考え込むがなにも答えらしきものは出てこない。

このような場合、私は ”たかが・・されど・・”   

方式を用いる。この自分なりの納得に、頭では  

答のでないことと見た夢に繋がるものはないもの

かと、たかが一編の夢でも、されど現実と関わる

ものはないだろうかと追つてみるときがある。

”虫の知らせ”とかの言葉もあり事実は奇なりである。

いくら文明科学の発展した現時代でも非科学的など

と一笑できない。多くの人々が見落としていること

と思うと、いまそのことを拾い上げなければならな

いことかも知れない。

前え前えと追うことのみでなく振り返り拾い上げる

ことも大事のことと考えるのは間違いなのであろうか。